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2012.07.02

古河の歴史23 by もも子 [まちの歴史]

前回の「古河の歴史22」の掲載はここ



〔 教武場 〕
1857年(安政4年)9月、追手門の向かい側、片町(現在の西町)に新築された武道の修練道場が教武場である。

1859年(安政6年)には城内桜町にあった盈科堂も、同一敷地内の西隣に移されて、教武場と玄関を並べて建てられた。
教武場では、剣術、柔術、棒術、槍術、砲術、馬術、弓術、水泳が行われ、藩士たちは50歳になるまで厳格なけいこに励んだという。

武芸への入門は自由であり、毎日午前・午後の2回行われ、1回のけいこ時間は、約2時間であった。

技の階級もあり、春秋には3本勝負の試合があったという。藩士の一人千賀牧太(せんがまきた)は、特に剣術と柔術に優れ、40日間に165人と立ち合って他藩の藩士たちと腕をみがき、「鬼牧太」と呼ばれていたといわれている。

その後、古河藩が関東諸藩中で最も優秀な武芸藩と言われるようになったのは、千賀枚太の功績であるともいわれている。


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